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これが無かったらボカロPは今より1人少なかった -higuraの場合-

  • 執筆者の写真: higura
    higura
  • 2023年10月28日
  • 読了時間: 4分

僕はボカロPではない(大事)。何者か?といわれれば趣味で音楽をやっている者だ。だから掲題には誤りがあるんだけど、このタイトルで統一とのこと。慣れない自分語りをしてみようと思います。


僕はロックなんて知らない

higura少年は音楽を知らなかった。音楽を能動的に聴くという行為に全く興味を感じていなかった。母親に「お前は音楽を聴かないのか」と言われ、初めて自分のお金でTOKIOのアルバムを買った(鉄腕DASHを見ていたから)。それから少しずつ自分で音楽を聴くようになったが、なかなかピンとくるものには出会えなかった。ある日、居間でミュージックステーションを眺めていると、ハチャメチャにかっこいい曲が流れてきた。YUIの「Rolling star」だった。これだと思い、すぐにTSUTAYAへ駆け込んだのを覚えている。それから同じようなジャンルの音楽を聴くようになるのだが、これが「ロック」と呼ばれていることを当時の僕は知らなかった。




君のせいで歪んだ僕

高校生になった僕は「ロックやメタルをやっているのは怖い人たち」という偏見を持って生きていた。なんなら「バンド」という概念もイマイチよくわかっていなかった。世間知らずだったと思う。

高校で出来た友人が、好きなバンドのMV特集を録画したとのことで、彼の家で一緒に見ることになった。よくわからないまま見ていたのだが、ある1曲を聴いた時に凄まじい衝撃を受けた。サウンドもビデオもめちゃくちゃかっこいい。凛として時雨の「Telecastic fake show」であった。

すぐに友人に頼み、手持ちのCDを全て借りた。凛として時雨はシャウトを多用するため、こんなの聴いてるの親にバレたらグレたと思われるだろうなと、偏見まみれの僕は恐る恐るCDを確認していったのをよく覚えている(何なら最初は怖かったしあまり好きではなかった)。借りたCDの中にTelecastic〜は入っていなかったが、ここから僕は時雨にズブズブとハマっていく。



余談だが同時期に東方二次創作のバンドアレンジを浴びるほど聞いていた。CDの中の人が楽しそうに音楽をやっている感じがとても好きだった。この時は東方の原作なんて全く知らなかったのだが、何年も後になって原作ゲームのゆっくり解説を出したり、アレンジャー側に回ることになるなんて、当時の僕が知ったらびっくりするだろうな。




メーデーメーデー

大学生になった僕は凛として時雨のコピバンをすべく軽音部に入った(パワーコードはわからないけどDISCO FLIGHTのリフは弾けた、ヤバすぎるよね)。この時期が人生で一番いろんな音楽を能動的に探していたと思う。0.8秒と衝撃、amazarashi、SAKANAMON、ヒトリエ、WHITE ASH、八十八ヶ所巡礼、いろんなバンドを聞いてみたし、いくつかはコピバンもした(結局時雨を超える衝撃には出会えなかったし、9割くらいは時雨を聴いてたね)。

僕がボカロ曲と出会ったのもこの時期だ。実はもともとボーカロイドがそんなに得意ではなかった。機械的なボーカルがどうも慣れなかった。ある日、TSUTAYAで「地獄型人間動物園」というCDをボーカロイドのコンピレーションだなんて全く気付かずタイトルだけで借りた。やらかしたと思いながら、元をとるためにひととおり聴いてみたところ、違和感なく聴けた曲があった。Out of surviceの「M'AIDER遭難ガール」である。



この出会いをきっかけに、自分の作りたい音楽を楽しそうにやっているという点で、ボカロ曲も東方アレンジと同じことに気づいた(バンドを始めたことでオケを聴くようになったのもあると思う)。それからはOutさん以外にも、こんにちは谷田さん、ぬゆり、n-bunaなど検索して出てきた有名どころ(?)のボカロPの曲を聴くようになった。だから僕はボカロ曲の話題や歴史には今でもとても疎い。

※ちなみにOutさんは今はDeltimoという名義で活動されているよ!


透明ヒグラシ

軽音部ももうすぐ引退という頃、「2階からカプチーノ」というバンドを組んで(放課後ティータイム的な名前にしたかった)、生まれて初めて作曲をした。これがとても楽しい。絵心が無く、楽譜も読めない僕は芸術とは縁のない人生を送ると思っていたのだが、友人に少し教えてもらうと頭の中で鳴っている音楽がアウトプットできるではないか!この感動に僕は虜になってしまった。

軽音部を引退した後も、まだ曲を作りたかった僕がDTMを始めるのは必然だったのかもしれない。higuraという名前で、作った曲をインターネットに垂れ流し始めた。最初はギターの録音環境がなかったのでフリーソフトの打ち込みだけで曲を作っていた。しばらくして友人から録音機材を譲り受け、2階からカプチーノで生まれて初めて作った曲のリアレンジを投稿することにした。それが「透明ヒグラシ」という曲だ。結局この曲が今でもニコニコ動画で一番伸びている。機材もギターの腕もきっと今の方がずっといいんだろうけど、当時こめた熱量が全然違うのかもしれない。僕はまだスタートラインから前に進めないままだ。



僕がいかに趣味で音楽をやっているだけの人であるか、おわかりいただけただろうか。実は歌ってもらっていないだけで、ボカロ自体は持っていたりします。いつかボカロPを名乗る日が来るのかな?

来ないだろうな。



higura

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